物理学徒の日記

旧帝大学院で素粒子物理系の研究室に所属する大学院生です。これまでに知っておきたかったこととか書いていきます。

分かりやすいことと、わかりにくいこと

本質を探す経験

僕は大学に入るのに結構苦労した方で、大学受験のための参考書とかにかなりお世話になりました。理系を選択した人に限らず経験がある人が多いと思いますが、勉強をしていく中で「本質」という概念に囚われてしまう人が結構いるんじゃないかと思っています。(少なくとも僕はそうでした。)もうあまり覚えていませんが、そういった名前の参考書とかも結構ありますよね。予備校の先生もそういったことはよくわかっています。

元来とにかく物覚えが悪い(細かいことに対する記憶力が乏しい、という意味で使っています。こういった意味で使う人は多いんじゃないでしょうか。)ので、受験勉強では兎に角覚えることを嫌がっていました。特に物理とか数学とかのゴリゴリ理系科目だと少なくとも大学受験では「本質」が何かを見極めながら勉強を進めることに意味があると思います。

様々な階層での「本質」があるとは思いますが、大体の場合物事の内包関係を追っていくことになります。数学だと、この公式は、この公式の特殊な場合だなーと考えることとかですかね。例えば、三角関数の二倍角の公式は加法定理に従属しますよね。ほかにも、同じ問題で全く違うアプローチで問題を解く方法があったとして、その背後に実は同じ発想があるのかどうか考えたりとか。

こうやっていけば、少なくとも大学受験での物理と数学に関しては覚えることは極限まで減らすことが出来ます。(問題を解こうと思えば、それなりに解法を覚える必要はあります。知識があるといってもそれが経験があることにはなりません。)

たちが悪いのが、高校で学ぶ理系科目が(大学で学ぶガチの勉強に比べて)かなり簡単なために、そういった本質を追求する勉強がそれなりに簡単にできてしまうことだと思います。

大学に入ってから

まあそんな感じで大学の理学部に入ったんですが、大学の勉強でも同じように理解をしようとして痛い目を見たよって話です。

理系の学部を目指す高校生ならよく言われるような話ですが、高校の授業と大学の授業の難しさの差はかば焼きさん太郎と蒲焼くらい違います。

高校の数学が好きだからと言って、大学の数学が好きになれるかというとそれは全く別問題です。たいていの大学新入生が最初の数学の授業で打ちのめされるのはε-δ論法です。ざっくりいうと、高校で学んだ極限の概念をちゃんとした理論体系で書き直そうという話です。(僕は一回生の頃ちゃんと勉強していなかったのでしっかりとは理解していませんが。。)微分積分学の概念にも極限が使われているので、そういったこともしっかりと学びなおします。大抵の学生は頭の中で???って感じになります。ほかにも実数の稠密性とか、そんなことを勉強します。

僕の経験では15週あった微分積分学で実際に積分をすることなく授業がすべて終了してしまったのは覚えています。

僕自身も最初はそうだったのですが、高校の範囲で大学の勉強を理解してしまおうと考えている人がとても多いです。無理です。実際に失敗したので断言できます。というか、それで理解が出来るなら別に大学でわざわざ授業を開講する必要もないですし。物理の力学とかは、若干高校の範囲とオーバーラップするところがあるので、そうった姿勢で取り組んでいるといつの間にか訳が分からんことになります。

大学での挫折

ここで最初の話の「本質」が出てきます。私は素粒子分野の大学院に進学したので、大学の数学についてはちゃんとは言えませんが、物理についても、上で話したような同じ感じ授業が進んでいきます。特に物理専攻でなくても学習する、解析力学の授業で何を話しているのか全く分からなくて詰んだ人も多いのではないでしょうか。ほぼ全員の理系大学生が経験することですが、大学で学ぶ物事が非常に抽象的で難しいため勉強し始めではそう簡単に「本質」が見えないのです。僕の経験ですが、今思うととても傲慢な態度だと反省しているのですが、「どうして先生は一言でバッサリと表現してくれないんだろう。なんでも本質があるはずで、わかりやすく説明できるはずなのに」とずっと授業中思っていました。いま振り返ると、この姿勢は完璧に間違っています。

本質を掴もうと思うと、キャンバスに満遍なく色を塗っていくように、最初は全体にわたって細部を学ばないといけないんです。だんだん色が塗られていくうちに、本質というかエッセンスが見えてくるんだと感じています。僕大学院入試で大学物理の全分野を学びなおして、何とか少し本質が見えたような気がしました。僕はまだまだ未熟ですが、いろんな分野の達人とというかプロフェッショナルの人はこういったことを感じているのではないのかなと思っています。ちなみにですが、少なくとも学部生か修士学生で、一般相対性理論周りのテンソル計算とかをすらすらと出来る人は滅多にいません。私が在籍していたゼミとかで周りを見てきて、感じたことです。(ちなみに卒業ゼミでは格子QCDの教科書の輪読をしていたこともあります。めちゃめちゃ難しくて細かい内容はもう覚えていませんが。)完璧に理解していると吹聴している人は、ほんとにめちゃめちゃ賢いか、ただプライドが高いだけではったりをかましているだけです。そういう人と付き合うとろくなことがないので、さっさと距離を置きましょう。

分かりやすいことと、わかりにくいこと

タイトルに戻りますが、学校での勉強に限らずこういったことは世の中でも多いです。自分の理解もそうですが、人に説明するときに、4つのパターンに分かれます。

  1. 話題が簡単で分かりやすいが、簡潔に説明(理解)が出来ない。
  2. 話題が簡単で分かりやすく、簡潔に説明(理解)が出来る。
  3. 話題が難しく、かつ簡潔に説明(理解)が出来ない。
  4. 話題が難しいが、簡潔に説明(理解)が出来る。

ここでの"難しい"の意味は、「複雑」「抽象的」「情報が多すぎる」が考えられます。"簡単で分かりやすい"はこの反対ですね。

学校で勉強をしていても、会社で人の発表を聞いていても、この四つのどれかには必ず分類されます。

1と2は完全に優劣がつきます。1のような説明をする人は案外多いように見えますが、その場合頭の中で実は物事を理解できていないか、あなたを煙に巻こうとしている場合が多いです。友人であればやんわり指摘するのがいいと思いますが、そうではない場合はその人のために時間を使う必要もないので、さっさと見切りをつけるのが得策です。

3と4に関してですが、これは説明を聞く側と話す側の関係によります。基本的に難しい話題に対して簡潔に説明をするためには、本質を含まない情報をバッサリと落とす必要があります。これはめちゃめちゃ難しいことです。ちゃんと物事を整理して理解できていないとできないことです。学部生の発表が長ったらしくなるのは、これが出来ていない、というかちゃんと理解できていないために、何が必要な情報で何が余分な情報なのかを分別できないからです。大学での授業に関してですが、予備校の授業と違って、基本的には先生は生徒に向かって簡潔に説明をする必要はありません。なので大学の授業は3に分類されることになります。その分野を歩く人にちゃんと理解してもらうためには、情報を落とすことはできないからです。4に関しては、専門分野の外側の人に話すときに必要な事です。外の人からしたら細部には興味がありません。一般の人達は一般相対性理論テンソル計算でもなく、QCD相互作用を記述するハミルトニアンの解析解の有無ではないのです。そういった計算式を使って何を記述しているのか、その結果何が得られて、何か面白い話はないのか、ということです。つまり、相手がどういった階層の情報を求めているのかといったことをしっかりと察知して、説明をする必要があるということです。あんまり知りませんが、就活でこれが出来ていない人はかなり苦労したのではないでしょうか。面接において相手が知りたいのは、あなたが博識なのかどうかだけではなくて、ちゃんと相手の目線に立って説明が出来る人間かということです。企業で一人で研究する訳ではないのですから、これが出来ないのは致命的です。

こんなこと書きましたが、僕がちゃんとこれが出来るというわけではありません。サラリーマンになっても、一生悩み続けることだと思っています。